
ベイラー医科大学
新田 陽平 博士
インタビュー
これまでのご経歴と、脳研究所との出会いについてお聞かせください。
現在に至るまで一貫してショウジョウバエを用いた研究に取り組んでおり、学部生の頃は東京農工大学農学部でアポトーシスの研究、東京大学大学院では神経発生に関与する新規遺伝子の機能解析を行い、脂質代謝の異常が神経発生に及ぼす影響について研究していました。
学位取得の目処が立ち、次の進路を考えていた矢先に、大学院の研究室の先輩である杉江先生からポスドクとして研究室に参加しないかと勧誘を受けました。杉江先生は脳研究所でテニュアトラックのポジションとして新たにラボを立ち上げたばかりでしたが、提示された研究テーマが非常に興味深かったことに加え、臨床研究者と基礎研究者の距離が近い脳研究所で自分の研究分野をさらに広げられると考え、オファーを受けポスドクとして着任しました。

脳研時代
脳研究所ではどのような研究を行っていましたか。
2017年から2024年までの7年間、科研費研究員、特別研究員(PD)、特任助教として杉江研究室に所属し、ショウジョウバエを用いた以下の研究を行いました。
1.軸索毒性を評価する実験系の確立
神経変性の研究を進めるうえで、適切かつ定量的な実験系の必要性を痛感しました。そこで、企業研究者と協働し、軸索を定量するソフトウェア MeDUsA を開発しました。
2.優性視神経萎縮症(DOA)の原因遺伝子 Opa1 の変異解析
MeDUsA を用いて Opa1 変異の解析を行いました。Opa1 の変異の種類によって病態の重篤度は異なりますが、これまで変異の判別方法は確立されていませんでした。我々の実験系により、初めて変異の判別が可能となりました。
3.新規疾患変異の同定と機能解析
学内外の研究者と共同研究を行い、多くの新規疾患変異を同定しました。特に未診断疾患イニシアチブ (IRUD) に参加し、病的意義が不明だった遺伝子変異(VUS)の機能解析を実施しました。この過程で、疾患研究におけるショウジョウバエの有用性を改めて実感しました。
脳研究所に赴任する前は純粋な基礎研究に従事していましたが、臨床研究者と基礎研究者が密接に連携する脳研究所の中で研究を行ったり、医学部や保健学科の先生方とも交流を深めたりしたことで、疾患研究におけるショウジョウバエの役割について改めて考えるようになりました。

Bellen Labの送別会
現在取り組まれている研究内容についてお聞かせください。
大学院時代は、脂質代謝と神経発生の関係について研究し、新潟大学では神経変性疾患の研究に取り組みました。その中で、自身でも学びを深めるうちに、脂質代謝の異常と神経変性疾患が密接に関連していることに気づきました。そこで、この関係をより深く探究したいと考え、ショウジョウバエを用いて同様かつ最先端のテーマを研究している、テキサス州ヒューストンのTexas Medical Center (TMC) にあるBaylor College of MedicineのHugo Bellen研究室に注目しました。
Hugo Bellen教授は、アメリカ版IRUDであるUDN (Undiagnosed Disease Network) のショウジョウバエセクターのトップを務めており、自分の研究関心である「脂質異常と神経変性疾患」と、これまでの経験を活かせる「ショウジョウバエを用いたVUSの解析」を両立できる環境だと考え、研究室の門を叩きました。
現在は、複数のプロジェクトに取り組んでいます。アルツハイマー病では、神経細胞で形成された脂質がグリア細胞で脂肪滴を形成する現象が知られていますが、GWASで同定されたリスク遺伝子の中で、どの遺伝子が脂肪滴の形成に関与しているのかをスクリーニングしています。また、パーキンソン病においても、神経細胞とグリア細胞間で脂質のやり取りが行われており、その分子機構の解明にも取り組んでいます。さらに、こちらでもVUSの解析を行っており、脳研究所で培った技術や経験を活用しています。
これらのプロジェクトは、単独で進める場合もあれば、ラボ内外の研究者とコラボレーションしながら進めることもあります。日々、英語に苦闘しつつも、研究に励んでいます。

TMCの風景。4,5年ぶりに雪が降り2日にわたって大学が閉鎖となった。
新天地での研究環境についてお聞かせください。日本との違いを感じたところや、共通する部分はありましたか。
やはり、研究資金の潤沢さを実感することが多いです。日本の科研費に相当するNIHからの資金に加え、多種多様な財団や個人からの寄付も多く、学内には寄付者の名前がついたホールや建物が数多く存在しています。ただ、潤沢な資金があるからといって、すべての実験設備や機器が最新のもので揃えられているわけではなく、この点は意外に感じたことのひとつでした。
一方で、どの研究室にもポスドクが多く在籍し、研究の主力として活躍しています。さらに、ポスドクのバックグラウンドは多種多様で、私のようにハエを専門に研究してきた人もいれば、バイオインフォマティクスの専門家、本国では医師として働いていた人、マウスを扱っていた人など、さまざまです。こうした異なる専門性を持つポスドク同士のディスカッションが、研究の突破口を開くきっかけになることも多いと実感しています。
また、研究環境というよりアメリカ(あるいはテキサス)特有の問題ですが、インフラの脆弱さも印象的です。風雨が強まるとすぐに停電することがあり、昨年の夏にはハリケーンの直撃で2~3日間、電気と水道が止まりました。今冬は4~5年ぶりに雪が降り、その影響で大学が2日間閉鎖されたこともありました。
研究室内には日本人はおりませんが、TMC内には多くの日本人ポスドクが在籍しており、月に1回勉強会も開催されているため、幸いにも孤独を感じることなく研究に取り組めています。

日本人研究者との夕食会
今後どのような研究を行っていきたいですか。新たに学んでみたいことや、挑戦してみたいことがあればお聞かせください。
脳内脂質の生理的機能を解明することを目指しています。脳の乾燥重量の60%が脂質であるにもかかわらず、その機能については十分に研究されてきませんでした。その背景には、脂質がタンパク質のように直接遺伝子から翻訳されるわけではなく、逆方向の代謝経路も働くため解析が複雑であること、抗体でラベル可能な脂質がごくわずかで局在の可視化が困難であることなど、技術的な課題が挙げられます。しかし、近年、質量分析イメージングやラマン顕微鏡などの解析技術が発展し、脂質の可視化・定量が以前よりも容易になりつつあります。まずは現在の研究室で脂質の解析技術に習熟し、脂質と神経変性の関係性の一端を明らかにすることが当面の目標です。その先には、神経の形成や機能における多種多様な脂質の役割や局在を解明し、神経における脂質の機能を包括的に理解する『脂質神経学』という新たな研究領域の確立を目指したいと考えています。