小さな魚から自閉症研究に新展開-自閉症モデルの社会性障害に「環境」が影響-
2025年09月05日
概要
新潟大学脳研究所脳病態解析分野のDougnon Godfried助教、松井秀彰教授らの研究グループは、環境が遺伝的素因をもつゼブラフィッシュ(注1)の自閉症様行動に影響を及ぼすことを発見しました。
本研究グループは安全性や不安の感じ方を調整することで、ube3a(注2)変異ゼブラフィッシュに見られる社会的行動の欠如が改善できる可能性を示しました。本研究成果は、自閉症スペクトラム障害(ASD)(注3)に対する新しい支援戦略として、環境を工夫することに着目できることを示唆しています。
本研究成果のポイント
- 環境がASDの社会的行動に影響する。
- その背景には環境情報の感覚処理が重要である。
- 環境の調整はASDに対する支援の可能性を有する。
Ⅰ.研究の背景
自閉症スペクトラム障害(ASD)は、社会的相互作用の困難さや反復行動を特徴とします。遺伝的要因が重要な役割を果たすことは知られていますが、環境要因も行動を調節する重要な因子としてますます認識されつつあります。しかし、環境と遺伝的素因との相互作用については、いまだ十分に解明されていません。
Ⅱ.研究の概要・成果
アンジェルマン症候群(AS)(注4)及びASDに関連するube3a遺伝子に点変異を有するゼブラフィッシュを用いて、本研究グループは「環境が社会的行動にどのように影響するか」を調べました。社会的行動は、白色発泡スチロール製タンク(忌避環境)と透明アクリル製タンク(馴染みのある環境)の両方で評価され、従来型の不安関連試験も併せて解析されました。さらに、社会的相互作用の前後における神経活動マッピング(注5)やRNAシーケンシング(注6)を行い、その背景にあるメカニズムを明らかにしました。
Ⅲ.研究の成果
ube3a変異ゼブラフィッシュは、ストレスのかかる発泡スチロール製タンクで 野生型に比べて他個体との接触回数や接近時間が減少するなど、社会的相互作用が低下していました。しかし、馴染みのある透明アクリル製タンクで試験を行った際にはその行動が改善されました。追加の不安関連試験(注7)でも、ube3a変異ゼブラフィッシュは不安様反応が高いことが確認されました。神経活動マッピングでは、脳の神経活動における不安を示す変化が見られました。加えて、RNAシーケンシング解析により、視覚やその併存症に関連する遺伝子の発現上昇および感覚経路の異常が明らかになりました。これらの知見から、視覚情報処理の異常が不安レベルの上昇と社会的相互作用の低下をもたらし、忌避環境ではその行動が顕著となる一方、馴染みのある環境では改善されることが示唆されます。

Ⅳ.今後の展開
本研究は、ASD関連の遺伝的素因を持つ個体において、社会的行動が環境によって影響を受ける可能性を示しました。これらの結果は、ASDに対する新たな支援や介入の展望を開くものであり、環境刺激を工夫することで、ASDに関連する行動上の課題の改善につながる可能性を示唆しています。今後の研究では、こうした知見をヒトに応用し、環境に基づく介入戦略を開発することを目指します。
Ⅳ.研究成果の公表
本研究成果は、2025年8月26日、科学誌「Molecular Psychiatry」に掲載されました。
論文タイトル | Environmental context modulates sociability in ube3a zebrafish mutants via alterations in sensory pathways |
著者 | Godfried Dougnon, Hideaki Matsui |
doi | 10.1038/s41380-025-03180-0 |
▶ プレスリリース
Ⅴ.謝辞
本研究は、⽂部科学省科学研究費助成事業(22K20681、23K14672、JP14516799、J11F0701、JP22484842)、AMED(JP23gm1710010、JP24wm0625506)、武⽥科学振興財団、新潟大学塚田医学奨学基金(J11F0701)、文部科学省教育研究組織改革事業(分子情報と機能情報を統合した21世紀型ブロードマン領野マッピング 543103)の⽀援を受けて⾏われました。
用語解説
- (注1)ゼブラフィッシュ:小型の熱帯魚で、脳や遺伝子にヒトとの類似性があり、透明な幼生期を利用して研究が容易であることから、科学研究で広く用いられている。ASD関連の行動試験にも適している。
- (注2)UBE3A:ユビキチンプロテインリガーゼE3Aという酵素を作る遺伝子で、タンパク質分解において重要な役割を果たす(分解のために標的をタグ付けする)。また転写制御にも関与し、その機能異常はアンジェルマン症候群(AS)やASDなどの神経発達障害と関連する。
- (注3)自閉症スペクトラム障害(ASD):社会的相互作用やコミュニケーションの困難、反復行動を特徴とする発達障害。個人差が大きいため「スペクトラム」と呼ばれる。
- (注4)アンジェルマン症候群(AS):UBE3A遺伝子の変異によって生じるまれな遺伝性疾患で、発達の遅れや運動障害を伴い、ASDと共通する行動特性を示す。
- (注5)神経活動マッピング(in situ ハイブリダイゼーション):特定の行動中に活性化している脳領域を同定する手法。本研究では、ニューロンが活動した際に発現する早期即時遺伝子 c-Fos を検出した。
- (注6)RNAシーケンシング(RNA-seq):細胞や組織でどの遺伝子が発現しているかを測定する高度な分子技術で、分子レベルでの生物学的変化を理解する手助けとなる。
- (注7)不安関連試験:ゼブラフィッシュのストレスや不安レベルを測定する実験(例:ライト-ダークテスト、新規タンクテスト)で、魚が未知または脅威となる環境でどのように行動するかに基づく。