医学部正門の黒松と脳研究所まえのヒマラヤ杉

新潟大学名誉教授 生田房弘

2013年の今も、新潟大学医学部正門、通称赤門の向こうに低い黒松がある。1914(大正3)年新潟医学専門学校第1期生が卒業式をあげた、今は無い「本館」と、赤門の間にその松は既にあった。以来百余年、この松はほぼ1萬人の医師と、彼らを育てた歴代の教授、職員などすべての動静を見、また彼らの心に宿り続けてきた松である。

少し遅れて、その本館の左片隅に植えられていた「ヒマラヤ杉」は、昭和31年、まだ人の背ほどであったが、時の医学部長 伊藤辰治先生が中田瑞穂先生の退官を機に、この木のすぐ前の奉安殿に学部内措置で木造二階をあげ、「新潟大学 脳研究室」と自称し、脳研究所の原点を作られ、生長してゆく一部始終をじっと見てきた。また、この木と脳研の間の小径を、学生や職員がそれぞれの部署に急ぐ姿も毎日見た。

その後、改築と移転が続き、周囲にあった数十本のヒマラヤ杉の大木は、次、次と、邪魔者として人間によって生命を絶たれていった。しかし、不思議にこのヒマラヤ杉一本だけが、本館撤去の工事でさえ生かされた。その後の改築中は、幾度もトラックで皮を剥がされ、痛ましい傷を残しながら、不思議に生命だけは絶えなかった。そして丁度、脳研究所創立50周年の2007年夏、初めて見る無数の白い花をつける巨木にまで生長した。それ以後も、この木は医学や脳研究を志す人達、一人一人が、あえぎあえぎ、一歩一歩、歩き続け今日の脳研究に至った様をすべて見続け、またこの木を仰ぎ人々は努力もした。

しかし、新潟における脳研究の歩みを知るこの唯一の生き証人のヒマラヤ杉が、近いうち、その生命を絶たれる運命が近づいているらしいと耳にした。もし本当であれば、これは将に、新潟における医学、脳研究の歴史の中で、決して生き返ることも、取り戻すこともできない歴史的な途方もない出来事が起きようとしているのだと思う。

赤門の向こうの黒松は医学部の、そしてヒマラヤ杉は脳研究所の、それぞれ創設以来今日に至るすべての歴史を共に見守ってきてくれた。将に、新潟に於ける医学の、脳研究の「御神木」とも言える。日本人の心に永く伝承されてきたように、医の、脳研究の魂が宿った木が、今、人の手によってその命を絶たれようとしているという。

何か医学の心そのものが切られる思いがしてならない。今後も多くの医学生たちが、この木を見て育って行ってくれる筈であったものを。

奇想天外な、旭町の叡智を結集しても、なおこの命を救う道は、本当にないものであろうか! 「致し方ない!」というには余りに惜し過ぎる。

Album

生田先生の思いを受け取り、ヒマラヤ杉と共に歩んだ脳研究所の歴史をアルバムとして残すべく、当ホームページを運営する情報セキュリティ委員会内にプロジェクトが立ち上がりました。

(1) 1956(昭和31)年5月
平成19(2007)年頃の研究棟群と昭和31(1956)年の「新潟大学脳研究室」との位置と配置図。本館左端に「松」と表記されているのが、後にヒマラヤ杉であることが分かった。
(2) 1956(昭和31)年5月
奉安殿にプレハブの2階を付けた、自称「新潟大学脳研究室」。ヒマラヤ杉(矢印)は当時既に本館脇に植えられていたことが分かる。まだ本当に幼い。
(3) 1976(昭和51)年5月
1976(昭和51)年3月に落成した新研究棟の右(南)方に、旧奉安殿を改造した2階建て「脳研究室」や少しずつプレハブなどで増築した実験室、電顕室、培養室などがあった。
(4) 1976(昭和51)年5月
ヒマラヤ杉はまだ小振りである。
(5) 1976(昭和51)年5月
工事現場の真っ只中にあるヒマラヤ杉。工事車両にぶつけられ、所々樹皮が傷ついていた。それを見かねた生田房弘教授(当時。現名誉教授)らが防御帯をまき、これ以上の被害を食い止めたそうである。
(6) 1976(昭和51)年10月1日
脳疾患標本センター新営工事が開始された頃のヒマラヤ杉。旧奉安殿改造の形態生理、生化学の建物は既に撤去されている。
(7) 1986(昭和61)年4月
脳研究所と医学部研究棟の間に位置する2階建ての「脳疾患標本センター」(1971[昭和46]年認可、1977[昭和52]年落成)の右脇に成長したヒマラヤ杉が見える。春の陽光に照らされた桜がきれいだ。
(8) 1992(平成4)年4月23日
脳疾患標本センターをバックに撮影したヒマラヤ杉。
(9) 2007(平成19)年7月
脳研究所創立50周年時のヒマラヤ杉。もう十分に成熟した大人の木になった。白い未熟な松ボックリの実に初めて気づく。
(10) 2012(平成24)年8月4日
第42回(2012[平成23]年)新潟神経学夏期セミナーにご出席された生田房弘名誉教授とヒマラヤ杉。この年も白い松ボックリの実がなっていた。
(11) 2012(平成24)年10月13日
2012年10月秋晴れの元のヒマラヤ杉。
(12) ヒマラヤ杉の位置。2008(平成20)年の旭町キャンパスの地図を使用。

(13) 2024(令和6)年4月13日
令和の時代にも健在のヒマラヤ杉。新潟大学創立75周年記念バナーが彩りを添える。

参考文献

  1. 新潟大学医学部病理学教室開講百周年(2011)記念誌. 2012年5月刊. 新潟大学脳研究所・病理学分野(神経病理学)の生い立ちと歩み
  2. 生田房弘教授退官記念事業会1995年. 新潟での神経病理学・写真に見る歩み・生田房弘教授退官記念
  3. 新大広報. 平成4年度第2号(通刊106号). 平成4年10月31日
  4. 新潟大学脳神経外科同窓会誌. Vol.28:8-20, 2010年11月. 中田瑞穂先生の居室とご自宅に思うこと
  5. 新潟日報1992年7月9日版(脳研創立25周年記事)
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