サルより遅いヒトの脳処理 -進化するほど脳の回転は遅くなる!? -

2022年01月26日

概要

 コンピュータは処理の高速化で進化します。しかし、霊長類の進化では、ヒトの脳処理が遅くなったことが、世界で初めて明らかになりました。本研究所 統合脳機能研究センターの 伊藤 浩介 准教授 、京都大学霊長類研究所の 中村 克樹 教授 や同野生動物研究センターの 平田 聡 教授 らの研究グループは、ヒトやチンパンジーを含む霊長類4種の脳波を計測し、大脳が音を処理する速さを比較しました。結果、音の始まりを大脳が分析したことを示すN1という脳応答のタイミングが、ヒトで最も遅かったことが分かりました。脳応答が遅いということは、じっくり時間をかけて音の分析をしているということです。言語や音楽のようなヒトに特有の高次脳機能は、脳処理が速くなるのではなく、遅くなることで進化したのかもしれません。

本研究成果のポイント

  • 霊長類4種において脳波で無侵襲で計測したところ、音に対する大脳聴覚野の応答は脳が大きいほど遅く、ヒトで100ミリ秒と最も遅延していることが分かった。
  • この遅延は、耳から脳に信号が伝わる時間が延びたのではなく、大脳聴覚野の中での処理時間が延びたことが主因だった。
  • 音の脳処理にかかる時間が長くなると、認知や反応が遅れる反面、言語のような複雑な音をじっくり詳しく分析できるメリットがある。

Ⅰ.研究の背景

 "脳は大きいほど良い"というのが、脳進化の基本原理です。ただし、単にサイズが大きいことが大事なのではなく、脳の中の神経細胞の数が増えることこそが重要です。つまり正確には、"神経細胞の数は多いほど良い"ことになります。実際、これまで調べられたどの哺乳類(例えばアフリカゾウ)よりも、ヒト脳の神経細胞の数が多いことが分かっています。
 しかし、ここで見落とされがちなのは、神経細胞の数が増えれば、それに比例して、一つの一連の脳処理にかかる総時間は長くなる(いわば、脳の回転が遅くなる)はずだということです。なぜなら、個々の神経細胞が入力を受けてから出力するまでの時間が、処理に参加する神経細胞の数だけ足し算で積み上がるからです。とすると、ヒトでは、どの動物よりも多くの神経細胞が処理に参加することで、どの動物よりも脳処理が遅くなっているはずです。
 本当にそうでしょうか?この予測を検証するため、霊長類で実験を行いました。

Ⅱ.研究の概要・成果

 ヒト、チンパンジー、アカゲザル、コモンマーモセットという、脳の大きさの異なる霊長類4種につき、無侵襲の脳波計測で、脳の処理スピードを比較しました。具体的には、音によって大脳の聴覚野から誘発されるN1と呼ばれる脳反応が、音の鳴り始めから何ミリ秒後に生じるかを調べました。すると、そのタイミングは、コモンマーモセットで40ミリ秒、アカゲザルで50ミリ秒、チンパンジーで60ミリ秒、ヒトで100ミリ秒と、脳が大きくなるほど遅くなり、ヒトで特に顕著に遅延していました220121.seika_pic.jpg 耳で受けた音の情報が大脳の聴覚野に伝わるのにかかる時間は、ヒトからコモンマーモセットまで、最短10-20ミリ秒とほとんど変わりません。とすると、N1の応答時間の違いは、聴覚野の内部での処理時間の違い、ということになります。脳が大きくなり、聴覚野の神経細胞の数も増え、より多くの神経細胞が音の処理に関わることで、反応が遅くなったのです。
 N1は、無音から音が鳴ったり、鳴っていた音が消えたり、音の高さが急に変化したりするなど、音に「変化」があった場合に誘発される脳応答です。こうした変化の検出には、変化の前と後で、音を比較することが必要です。つまり、時間軸上の1点ではなく、ある程度の長さの「時間窓」で音を分析するからこそ、変化が検出できて、N1が生じます。N1の生じるタイミングが遅いということは、音を分析する時間窓が長いことを示唆します。実際に本研究グループは、聴覚処理の時間窓が、マカクザルよりヒトで長いことを示しています(Itoh et al., 2019)。
 時間窓が長いとは、視覚で例えるなら、視野が広いようなものです。すなわち、音の変化をストロボのように瞬間ごとでなく、一連のものとして大局的に捉えることができます。これは、言語音のように時間的に複雑に変化する音の分析に有利です。
 脳が大きくなり神経細胞の数が増えると、処理に時間がかかります。これは明らかにデメリットです。しかし、時間窓が広がり複雑な刺激を処理できるようになるという、デメリットを補って余りあるメリットがあるからこそ、ヒトの脳はこれほど大きくなり、高度に進化したのではないでしょうか。これは、本研究の成果にもとづく、ヒト脳進化の新仮説です。

Ⅲ.今後の展開

 今回の研究は、時間の処理が特に重要な聴覚に焦点をあてて調べました。しかし、この研究でみられたような、ヒト脳における脳処理時間の延長は、聴覚以外の感覚や高次機能など、ヒト大脳処理の全体にわたって起こった可能性もあると考えています。すなわち、さまざまな感覚や認知につき、長い時間窓でじっくりと時間をかけて大局的な処理をすることで、動作が遅くとも、高度な機能を獲得したのがヒトの脳ではないかと予想しています。この仮設の検証が、今後の目標です。

Ⅴ.研究成果の公表

 本研究成果は、202212019時(日本時間)、Scientific Reports 誌に掲載されました。

【論文タイトル】 Cerebral cortical processing time is elongated in human brain evolution
【著者】 Kosuke Itoh, Naho Konoike, Masafumi Nejime, Haruhiko Iwaoki, Hironaka Igarashi, Satoshi Hirata, and Katsuki Nakamura
【doi】(公開論文はこちら▶) 10.1038/s41598-022-05053-w

Ⅵ.本研究への支援

 本研究は、科学研究費補助事業(19H05309, 21H00304, 18H05524)、Brain/MINDS、京都大学霊長類研究所共同利用・共同研究の支援を受けて行われました。

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