脳が活発に働くときにつくられるタンパク質を発見 -記憶のつくり方の解明や記憶障害の治療法への貢献に期待-
2026年07月24日
概要
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センタータンパク質構造疾患研究チームの田中元雅チームディレクター、ナヤン・スーリャワンシー特別研究員、遠藤良上級研究員、佐藤海基礎科学特別研究員、新潟大学脳研究所細胞病態学分野の三國貴康教授、同システム脳病態分野の内田仁司助教らの共同研究グループは、神経細胞が活動したときにつくられるタンパク質を詳しく調べるための新しい解析技術を開発しました。この技術を用いて、神経細胞が刺激を受けた際に合成量が増えるタンパク質や、これまで見逃されていた非常に短いタンパク質の仲間(ペプチド:アミノ酸の結合数が50個以下のもの)を数多く発見しました。
神経活動に応じたタンパク質の合成は、学習や記憶など脳の重要な働きを支えています。本研究の成果は、脳がどのように記憶をつくるのかを理解する手掛かりとなるだけでなく、認知症など記憶障害を伴う神経疾患の新たな治療法の開発へ貢献することが期待されます。
私たちが新しいことを学んだり記憶したりするとき、脳の神経細胞は活発に働きます。その際、細胞内では遺伝情報を基にタンパク質がつくられますが、どのタンパク質がどのように増えるのかは十分には分かっていませんでした。
今回、共同研究グループは新たな解析技術によって、神経活動に応じて迅速につくられるタンパク質を網羅的に調べることに成功しました。特に、「Egr1-uORF」と呼ばれる短いペプチドが神経活動によってつくられ、「ペルオキシソーム[1]」という細胞内小器官で働いていることを初めて明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(7月23日付:日本時間7月23日)に掲載されました。
背景
私たちが新しいことを覚えたり、旅先で美しい景色に感動したり、スポーツで興奮したりすると、脳の神経細胞は活発に働きます。その際、神経細胞の中では遺伝情報を基に新しいタンパク質がつくられます。こうしたタンパク質は、神経細胞が情報を伝えたり、記憶を残したりするために欠かせない重要な役割を担っています。
刺激が入ったときに、脳の中で活動が活性化する神経細胞は全体のごく一部に限られています。しかし、それらの少数の神経細胞だけを選び出す技術がなかったため、活性化した神経細胞からつくられているタンパク質にどのようなものがあるのか十分に分かっていませんでした。
さらに近年の研究により、タンパク質をつくらないとこれまで考えられていた遺伝情報の領域からも、実際には小さなタンパク質やペプチドがつくられていることが分かってきました注)。しかし、神経細胞が活性化したときに、そのような領域からどのようなタンパク質がつくられるのかについては、ほとんど明らかになっていませんでした。
注)Ribosome profiling of mouse embryonic stem cells reveals the complexity and dynamics of mammalian proteomes. Ingolia NT, Lareau LF, Weissman JS. Cell. 2011 Nov 11;147(4):789-802. doi: 10.1016/j.cell.2011.10.002. Epub 2011 Nov 3.
研究手法と成果
共同研究グループは、神経細胞が活動したときにつくられるタンパク質を調べるため、「最近活性化した神経細胞だけ」を見分け、タンパク質を合成する過程である翻訳[2]を調べることを可能にする新しい解析技術(Ribo-seq[3])を開発しました。
Ribo-seqでは、生後5日目のマウスにおいて、記憶に関わる海馬[4]から培養スライスを調製し、まず、海馬組織中の全ての神経細胞に目印(EGFP-L10a)を付けておき、その後、化学LTP(cLTP)[5]による刺激によって活性化した神経細胞だけに別の目印(HA-GFPnb-HALO-PEST)が現れるように設計しました。これにより、多数の神経細胞が存在する脳組織の中から、実際に活動している神経細胞が持つリボソーム[6]だけをHALOビーズ[7]を用いて選び出し、その中に入っているRNAを解析することで、どのようなタンパク質がつくられているのかを調べることができます(図1)。
図1 神経細胞の活動に応答したタンパク質合成を網羅的に調べる技術の開発
新しく開発した解析技術(Ribo-seq)。生後5日目のマウス由来の海馬の培養スライスにおいて、神経細胞に目印(EGFP-L10a)を付けた後、cLTP刺激で活性化した神経細胞だけに異なる目印(HA-GFPnb-PEST)が現れるように設計した。海馬スライスの中で活性化していた神経細胞のリボソームのみをHALOビーズで選び出し、その中に入っているRNAを解析し、どのようなタンパク質が生成されているかを調べられる。この技術を用いて設計したマウス海馬の培養スライスをcLTPで刺激すると、活性化した神経細胞だけが選択的に標識されることを免疫染色実験から確認しました。標識された神経細胞からリボソームを回収してRibo-seq解析を行うことで、神経活動が活性化された神経細胞で、今まさに合成が進行しているタンパク質を高い精度で捉えることができました。
本研究で開発したRibo-seqが正しく機能するかを確かめるため、神経細胞をcLTPの処理によって活性化させた脳組織と、毒性の強いテトロドトキシンで処理して神経活動を抑えた脳組織を比較しました。それぞれの脳組織のタンパク質合成データを主成分分析[8]した結果、これら2群のサンプルグループが明確に分離されたクラスターを示し、神経活動の活性化による翻訳の本質的な差異が示唆されました。
Ribo-seqで得られたデータを詳しく解析した結果、神経細胞が活発に活動すると、学習や記憶に関わることが知られているFosやArcを含む399種類のタンパク質の合成が顕著に増加することが分かりました。これは、新しく開発した技術が、神経活動に応じたタンパク質合成の変化を正確に捉えていることを示しています。
さらに解析を進めたところ、これまでタンパク質をつくらないと考えられていた遺伝情報の領域からも、神経活動に応じて多数の短いタンパク質やペプチドがつくられていること、特にEgr1-uORFを含む約30個のupstream ORF(uORF)[9]と約100個の非コード(暗号化されていない)RNAにおける翻訳が明らかになりました。
これらの発見は、神経細胞が活発に働く際には、これまで知られていたタンパク質だけでなく、多くの未知の小さなタンパク質もつくられていることを示しています。
さらに、これまでタンパク質をつくらないと考えられていた遺伝情報の領域(5'UTRという非翻訳領域)から、神経活動に応答して合成された「Egr1-uORF」と呼ばれるペプチドのアミノ酸配列を調べた結果、そのカルボキシル末端[10]に、ペルオキシソームという細胞内小器官へ運ばれるための目印(三つのアミノ酸)が備わっていることが分かりました。さらに、この目印となるアミノ酸はマウスやヒトを含む多くの哺乳類で共通しており、Egr1-uORFが進化の過程を通じて重要な役割を担ってきた可能性が示されました。
そこで、この目印だけを取り除いた改変型のEgr1-uORFを作製し、細胞の中のどこに存在するのかを調べました。その結果、通常のEgr1-uORFはACOX1でラベルされるペルオキシソームに集まる一方で、目印を失ったもの(Egr1-uORF ΔC)はペルオキシソームへ運ばれなくなることが分かりました(図2)。
図2 神経活動に応答して合成されるEgr1-uORFはペルオキシソームに局在
(上段)Egr1-uORF(野生型、中央)、ペルオキシソームのマーカーとなるACOX1でラベルされたもの(左)とこの二つを重ね合わせたものに核のマーカーとなるDAPIを添加したもの(右)。Egr1-uORFがペルオキシソームに局在することを示す。(下段)目印を失ったEgr1-uORF C(中央)、ペルオキシソームのマーカーとなるACOX1でラベルされたもの(左)とこの二つを重ね合わせたものに核のマーカーとなるDAPIを添加したもの(右)。Egr1-uORFから目印を除くと(C)ペルオキシソームに局在しなくなったことから、Egr1-uORFのカルボキシル末端にある目印がペルオキシソームへの局在を決定していることを示す。スケールバーは10マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)。
これらの結果から、Egr1-uORFは神経活動に応じて迅速に合成され、細胞内のペルオキシソームで働く新しい微小タンパク質(マイクロペプチド)であることが示唆されました。
今後の期待
本研究で新たに開発したRibo-seqにより、神経活動に応答した神経細胞が活動したときにつくられるタンパク質を詳しく調べることが可能になりました。実際に、この技術をマウスの脳組織に適用し、多くの種類の神経細胞が複雑につながる脳の中でも、神経活動に応じてどのタンパク質がつくられるのかを調べられることを示しました。
また、これまでタンパク質をつくらないと考えられていた遺伝情報の領域からも、神経活動に応じてつくられている短いタンパク質やペプチドを多数発見しました。特に、「Egr1-uORF」と呼ばれる短いペプチドが神経活動によってつくられ、「ペルオキシソーム」という細胞内小器官で働いていることを初めて明らかにしました。
これらの発見は、神経細胞が活発に働く際には、これまで知られていたタンパク質だけでなく、多くの未知の小さなタンパク質もつくられていることを示しています。
脳の神経細胞は、学習や記憶を行う際に活発に働き、その活動に応じて新たなタンパク質をつくります。神経活動に応じたタンパク質の合成は、認知症やうつ病などのさまざまな脳の病気にも深く関わっていると考えられており、この技術を生きた動物へ応用することで、神経活動とタンパク質産生の関係をこれまでにない精度で調べることができるようになります。
本研究成果は脳がどのように記憶をつくるのかを理解する手掛かりとなるだけでなく、認知症など記憶障害を伴う神経疾患の新たな治療法の開発へ貢献することが期待されます。
論文情報
| タイトル | Activity-dependent ribosome profiling reveals the landscape of canonical and non-canonical translation in brain tissue |
| 著者名 | Nayan Suryawanshi, Hitoshi Uchida, Ryo Endo, Kai Sato, Daisuke Satoh, Kazuya Tsumagari, Koshi Imami, Takayasu Mikuni and Motomasa Tanaka |
| 雑誌 | Nature Communications |
| doi | 10.1038/s41467-026-74968-z |
補足説明
[1] ペルオキシソーム:細胞の中にある小さな器官の一つで、有害な物質を分解したり、脂肪を処理したりする細胞の浄化・代謝センターのような働きをする。
[2] 翻訳:メッセンジャーRNA(mRNA)に記された塩基配列をアミノ酸配列へ変換し、リボソーム([6]参照)でアミノ酸を順番につなげてタンパク質を合成する過程。
[3] Ribo-seq:翻訳最中のリボソームの中に取り込まれているmRNAを解析し、細胞の中で「どの遺伝子がどの程度の効率で翻訳されているのか」を調べる技術。
[4] 海馬:脳の中で、記憶や学習をつかさどる領域。解剖学的には大脳新皮質の内側に位置し、タツノオトシゴに似た形をしていることから「海馬」(タツノオトシゴの別名)と呼ばれる。
[5] 化学LTP(cLTP):脳の神経細胞を化合物で化学的に刺激して、学習や記憶が強まるような状態を人工的に再現する方法。
[6] リボソーム:リボソームRNA(rRNA)とリボソームタンパク質で構成される巨大複合体で、タンパク質の合成装置。
[7] HALOビーズ:HALOタグを含むタンパク質を選択的に釣り上げる(精製する)ための磁性ビーズ。HALOタグは、真菌の一種であるRhodococcus rhodochrous(ロドコッカス・ロドクラウス)のハロアルカンデハロゲナーゼ(haloalkane dehalogenase)をコードするDhaA遺伝子に由来する、297アミノ酸残基(約33キロダルトン(分子量の単位))から成るタンパク質である。
[8] 主成分分析:複数の成分を含むデータに対して、各成分を組み合わせることで変動が大きく、しかも互いに相関のない成分(主成分)に分解するデータ解析手法。変動の大きい順に第1主成分、第2主成分、対応する成分の組み合わせの仕方を第1固有ベクトル、第2固有ベクトルなどという。変動の小さい主成分は元のデータへの影響が小さいと考えられるので、(通常2~3個の)上位の主成分と対応する固有ベクトルのみを考えればよく、各主成分間では相関がないため、元の複雑に絡み合った多成分のデータに比べて解釈が容易になる。PCA(Principal Component Analysis)ともいう。
[9] upstream ORF(uORF):上流オープンリーディングフレーム。タンパク質をつくるための設計図(mRNA)の先頭付近にある短い配列で、本体のタンパク質がどれだけつくられるかを調節する役割などを持つ。uORFはupstream Open Reading Frameの略。
[10] カルボキシル末端:アミノ酸の端に位置し、遊離のカルボキシル基(COOH)を持つ側のこと。
共同研究グループ
- チームディレクター
- 田中元雅(タナカ・モトマサ)
- 特別研究員
- ナヤン・スーリャワンシー(Nayan Suryawanshi)
- 上級研究員
- 遠藤 良(エンドウ・リョウ)
- 基礎科学特別研究員
- 佐藤 海(サトウ・カイ)
- ユニットリーダー
- 今見考志(イマミ・コウシ)
- 研究員
- 津曲和哉(ツマガリ・カズヤ)
- 教授
- 三國貴康(ミクニ・タカヤス)
- 助教
- 佐藤大祐(サトウ・ダイスケ)
- 助教
- 内田仁司(ウチダ・ヒトシ)
研究支援
本研究は、理研新領域開拓課題「長時間分子生物学」などにより実施し、日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業AMED-CREST「アミロイドの生成・脱凝集過程に着目した神経変性疾患の病態解明と医療応用(研究代表者:田中元雅、JP21gm1410009)」、同脳とこころの研究推進プログラム「選択的翻訳解析技術による鬱症状の発現分子機序解明(研究代表者:田中元雅、分担者:三國貴康、JP21wm0525014)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業学術変革領域研究(A)「クロススケール細胞内分子構造動態解析が解明するタンパク質凝集化による神経変性機構(研究代表者:田中元雅、JP21H05257)」「形態・活動・分子の1細胞シナプトーム観察による神経回路再編成のメカニズムの解明(研究代表者:三國貴康、JP25H02490)」などによる助成を受けて行われました。

