髄液中のDNAから脳幹部神経膠腫の髄膜播種診断に成功
2025年01月23日
概要
新潟大学脳研究所脳神経外科学分野の渋間啓非常勤講師、大石誠教授、同研究所脳神経疾患先端治療研究部門の棗田学特任准教授らの研究グループは、同研究所病理学分野の柿田明美教授、同大学大学院医歯学総合研究科法医学分野の小山哲秀助教らとの共同研究で、脳幹部神経膠腫の髄液中cell free DNA(※1)からH3K27M変異を同定することで、髄膜播種の診断に成功しました。脳幹部神経膠腫は脳幹に発生し、その局在から手術や生検術が困難であり、予後不良とされる小児悪性脳腫瘍です。
血液、尿や脳腫瘍では髄液より微量な壊れた腫瘍DNAを同定することで、脳腫瘍や癌の診断を行う診断技術をリキッドバイオプシーといいます。本研究グループは2019年に日本で初めて脳腫瘍患者のリキッドバイオプシーに成功しました。リキッドバイオプシーの中でも、感度・特異度ともに極めて高い、cell free DNAの同定法を確立しました。中枢神経系原発悪性リンパ腫においては、髄液中cell free DNAにおけるMYD88 L265P変異の同定は、腫瘍DNA中の変異の有無と100%一致しました。それは、中枢神経系原発悪性リンパ腫は腫瘍細胞の増殖が速く、細胞死(アポトーシス)が頻繁に起きているために髄液中にcell free DNAが豊富にあるからです。しかしながら、脳幹部神経膠腫は、その局在より予後は極めて不良であるものの大脳の悪性神経膠腫と比べて細胞増殖はゆっくりであり、細胞死があまり頻繁に起きておらず、髄液中cell free DNAにおけるH3K27M遺伝子変異量は少ないことがわかりました。
本研究成果のポイント
- 脳幹部神経膠腫を含むびまん性正中膠腫患者の髄液cell free DNAからH3K27M変異を同定することに成功しました。
- H3K27M変異を同定できた症例の多くは既に髄膜播種をきたしていた。2例では、H3K27M変異を同定後に比較的早期に髄膜播種をきたし、髄膜播種を早期に診断する有用な方法であると考えられました。
- 1例では髄膜播種の治療により長期的に播種病変を抑えることができました。髄膜播種の早期診断、早期治療により、脳幹部神経膠腫の予後が改善することが期待されます。
Ⅰ.研究の背景
脳幹部神経膠腫は脳幹、多くは橋から発生する悪性脳腫瘍であり、生存期間中央値は8ヶ月から11ヶ月と極めて予後不良です。また、大人でもみられますが、多くの患者は子どもです。近年の網羅的遺伝子解析より約9割の小児脳幹部神経膠腫はヒストンのH3F3A K27MとHIST1H3B K27M変異を有することが知られ、また、視床や脊髄から発生する悪性神経膠腫も同じ遺伝子変異が認められることから、総称して「びまん性正中膠腫、H3K27M変異」と定義されました。遺伝子異常の理解が進み、脳幹部神経膠腫の研究は世界中で盛んに行われてきましたが、未だに生命予後を大きく延長するような治療開発には到ってないのが現状です。大脳からの神経線維が脳幹を通って脊髄、さらには手足や臓器に行くため、脳幹には大事な神経線維が集まっており、意識の中枢や呼吸中枢など、生命を維持するのに不可欠な機能を持ち合わせている部分であるがゆえに、脳幹部神経膠腫を大きく摘出することは出来ないことが予後不良である一因です。加えて、大脳に生じる悪性神経膠腫での有効性が示されているテモゾロミドという錠剤のアルキル化剤が効きにくいことが知られています。従って放射線治療後に再発すると、比較的急速に手足の麻痺をきたし、寝たきりとなってしまいます。
Ⅱ.研究の概要・成果
2017年11月から2024年11月までに新潟大学医歯学総合病院脳神経外科または群馬大学医学部附属病院脳神経外科で治療を行ったびまん性正中神経膠腫22症例を対象としました。髄液は腰椎穿刺、脳腫瘍摘出術や脳腫瘍ドレナージ術、或いは水頭症(※2)をきたして脳室-腹腔シャント術(※3)を行った際に脳室から採取しました。採取した髄液を遠心分離して血球成分を除去し、残った成分よりcell free DNAを抽出し、ドロップレット・デジタルPCR(※4)という高感度PCR装置を用いて、髄液中に存在する微量な腫瘍DNAを解析しました。その結果、すでに髄膜播種をきたした症例或いは検査後に早期に髄膜播種が確認された症例(早期播種例)の多くでは、H3K27M変異ドロップレット(油滴)(※5)を認めましたが、髄膜播種を認めなかった症例では変異ドロップレットは殆ど検出されませんでした(図1)。以上より、リキッドバイオプシーは脳幹部神経膠腫における髄膜播種の診断に有用と考えられました。

興味深いことに、22症例中2例で、臨床的に髄膜播種の兆候が全くないのに、初発時に変異ドロップレットを複数検出しました。その2例とも、その後、半年以内の経過で広範な脊髄播種を認めました(図2)。つまり、現在用いられる頭部造影MRIや脊髄造影MRI、髄液細胞診などの検査と比べて、リキッドバイオプシーは脳幹部神経膠腫における髄膜播種を早期に診断できる可能性が示唆されました。今後の検証が望まれます。

脳幹部神経膠腫における髄膜播種の治療は困難であり、極めて予後不良です。しかしながら、1例では、髄膜播種をきたした際に播種病変に対して放射線治療や抗がん剤の髄注療法、播種病変の摘出術を行うことで播種病変が制御でき、髄膜播種の診断から約1.5年間、制御可能であった症例も見受けられました(図3)。つまり、今後、リキッドバイオプシーにより脳幹部神経膠腫における髄膜播種の早期診断を行うことで早期に治療を開始し、予後改善に繋がる可能性が示唆されました。

Ⅲ.今後の展開
前述しましたとおり、現在、世界中でH3K27M変異を有する脳幹部神経膠腫の研究が行われ、幾つか期待できる治療法が開発されつつある。一方で、脳幹部神経膠腫の生検は術中出血などの合併症が重篤となりうるため、広く行われていません。本研究で検証した方法では、脳幹部神経膠腫の診断および髄膜播種の早期診断が可能となりました。また、ストレックチューブというリキッドバイオプシー用のチューブを用いることで、cell free DNAが劣化せずに輸送することができます。既に本研究グループは国内複数の施設から髄液を受けて、解析を行っています。今後は、H3K27Mの髄液診断から、治験などに参加できる方法を模索していく予定です。
Ⅴ.研究成果の公表
本研究成果は、2025年1月9日、科学誌「Pediatric Blood and Cancer」のオンライン版に掲載されました。
論文タイトル | Diagnosis of Leptomeningeal Disease in Diffuse Midline Gliomas by Detection of H3F3A K27M Mutation in Circulating Tumor DNA of Cerebrospinal Fluid |
著者 | Shibuma S, On J, Natsumeda M, Koyama A, Takahashi H, Watanabe J, Mitobe M, Nakata S, Tanaka Y, Tsukamoto Y, Okada M, Yoshimura J, Tada M, Shimizu H, Oya S, Murai J, Okamoto K, Kawashima H, Kakita A, Oishi M |
doi | 10.1002/pbc.31535 |
▶ プレスリリース
Ⅵ.謝辞
本研究は日本学術振興会、科学研究費助成事業の支援を受けて行われました。
用語解説
- (※1)cell free DNA:壊れた細胞に由来し、血液や髄液などの体液中に遊離したDNAのこと。
- (※2)水頭症:髄液の通り道が狭くなるか吸収が悪くなることにより、脳室の中に髄液が溜まり、様々な症状を呈する病気。
- (※3)脳室-腹腔シャント術:脳室の中に溜まった髄液を、皮下を通して腹腔まで流し、吸収を促す手術。
- (※4)ドロップレット・デジタルPCR:ドロップレット(油滴)の中でPCR反応(DNAを増やす反応)を行うことで、微量な変異DNAが検出できる高感度PCRの方法。
- (※5)H3K27M変異ドロップレット:遺伝子変異が検出されたドロップレット(油滴)。