ロングリード法による遺伝子発現解析を用いたヒトの脳における領域特異的遺伝子アイソフォームの同定

2024年01月26日

概要

 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター(略称:NCGM)ゲノム医科学プロジェクト(戸山)嶋多 美穂子 上級研究員、大前陽輔 上級研究員、徳永 勝士 プロジェクト長らは、新潟大学脳研究所 病理学分野の柿田 明美 教授ならびに東京都医学総合研究所と共同で「ロングリード法による遺伝子発現解析を用いたヒトの脳における領域特異的遺伝子アイソフォームの同定」を米国科学雑誌「Science Advances」に発表しました。

 本研究では、ロングリードシークエンス法と呼ばれる解析技術を用いて、ヒトの脳の異なる3つの部位、小脳、視床下部、側頭葉皮質において発現している遺伝子のスプライシングバリアント(アイソフォーム)※1を探索し、検出されたアイソフォームの半数以上がこれまでにデータベースに登録されていない新規のアイソフォームであることを確認しました。さらに脳の部位によって異なるアイソフォームを発現する遺伝子を同定し、そのような遺伝子には細胞の突起の形成に関わる遺伝子が多いことも明らかにしました。本研究の結果ならびにデータは、今後の脳疾患研究にとって貴重な知見となり、ヒトの脳におけるアイソフォームの多様性を支えるメカニズム解明の一助となることが期待されます。

研究の背景

 神経疾患や精神神経疾患では、さまざまな脳領域が影響を受けますが、遺伝子発現パターンの違いがこのメカニズムを説明できる可能性が示唆されていました。しかしながら、ヒトの脳の異なる領域における遺伝子発現を正確に調べた研究は限られており、従来のショートリードシークエンスを用いた遺伝子発現解析技術は、mRNAの全長を解析することができず、そのデータに基づくスプライシングバリアントは推定にならざるを得ないという問題がありました。本研究では、このような課題を克服するため、同一サンプル由来の小脳、視床下部、側頭皮質の3つの異なる脳領域から抽出したRNAを用いてロングリード遺伝子発現解析※2を行いました。

図1 図2

研究の方法と成果

 私たちは、新潟大学脳研究所に保管されているヒトの死後脳のサンプルから、小脳、視床下部、側頭葉皮質を切り出し、そこから抽出したRNAを用いてロングリード法による遺伝子発現解析を行いました(N=4×3部位、12サンプル)。その結果、全サンプルあわせて66,860個のアイソフォームが同定され、それらは14,382の既知の遺伝子と52の新規の遺伝子に由来するものであることがわかりました。3つの脳部位のうち2か所以上で発現しているアイソフォームに絞っても、その半数以上がこれまでに登録のない新規のアイソフォームであることがわかりました。

 各々の部位で発現量が異なる遺伝子について検討したところ、小脳、側頭葉皮質で他の部位と比較して発現量が多い遺伝子には、脳神経系の発達などに関わるものが多いのに対し、視床下部では免疫関連遺伝子が検出されました。さらに同じ遺伝子から転写されるアイソフォームの種類数が部位間で異なる遺伝子についても検討したところ、小脳と側頭葉皮質では脳神経系に関わる遺伝子が、視床下部では脳神経系に加えて免疫系の遺伝子が多くのアイソフォームを発現していることが明らかになりました。

 次に私たちは、各々の部位において、遺伝子全体の発現量は変わらなくとも、発現している主要なアイソフォームが異なる遺伝子に着目して解析を行いました。このような傾向が最も強い遺伝子はGAS7(Growth Arrest Specific 7)であり、3つの部位でそれぞれ異なる主要なアイソフォームを発現しており、特に視床下部、側頭葉皮質では長いアイソフォームを、小脳では短いアイソフォームを発現していることがわかりました。GAS7が大脳皮質では長いアイソフォームを、小脳では短いアイソフォームを発現することは、すでにマウスの脳のウェスタンブロッティングを用いた研究などでも明らかとなっており(1)、今回の結果はヒトでも同じ現象が見られることを示しました。GAS7は神経突起伸長に重要な機能を持つことが報告されていますが(2,3)、GAS7以外にも同様に脳の部位間で異なる主要なアイソフォームを発現する遺伝子には、細胞の突起の形成に関わるものが多いことが示唆されました。

 最後に私たちは、上述のように同じ遺伝子から脳の部位によって異なるアイソフォームが発現するメカニズムに迫るため、DNAのメチル化に着目した解析を行いました。ロングリード解析を行ったサンプルで網羅的なDNAメチル化率のデータも取得し、発現データとあわせて解析することで、部位間でDNAのメチル化率が異なるメチル化部位が、異なるアイソフォームを発現する遺伝子周辺に特に多いことを明らかにしました。また特に転写開始点が異なるアイソフォーム同士の転写開始点付近にメチル化率が異なる部位が多いことがわかり、異なるアイソフォームの発現メカニズムにDNAのメチル化が関与している可能性が示唆されました。

今後の期待

 今回の結果は、ヒトの脳の部位によるアイソフォームの発現の違いを、初めてロングリード法による遺伝子発現解析にて検討した結果であり、多くの新規のアイソフォームが同定されると共に、その発現が部位間で異なる遺伝子の存在が明らかになりました。本研究で得たデータは今後の脳疾患の解析に有用な参照データとなることが期待され、また今後の研究において疾患の責任部位ごとに詳細にアイソフォームを検討する必要性を示すものとなりました。今後はさらに脳のサンプルを用いた一細胞ロングリード遺伝子発現解析などを実施することにより、神経細胞やグリア細胞といった細胞の種類も考慮したより詳細なアイソフォーム発現のメカニズムが明らかになることが期待されます。

 

研究成果の公表

 本研究成果は2024年1月24日 14時(米国東部時間)、学術雑誌「Science Advances」に掲載されました。

論文タイトル Identification of region-specific gene isoforms in the human brain using long-read transcriptome sequencing
(ロングリード法による遺伝子発現解析を用いたヒトの脳における領域特異的遺伝子アイソフォームの同定)
著者 Mihoko Shimada *, Yosuke Omae, Akiyoshi Kakita, Ramil Gabdulkhaev, Yuki Hitomi, Taku Miyagawa, Makoto Honda, Akihiro Fujimoto, and Katsushi Tokunaga
*責任著者
doi 10.1126/sciadv.adj5279

プレスリリース


参照

  1. M. Lazakovitch, B. R. She, C. L. Lien, W. M. Woo, Y. T. Ju, S. Lin-Chao, The Gas7 gene encodes two protein isoforms differentially expressed within the brain. Genomics 61, 298-306 (1999).
  2. R. She, G. G. Liou, S. Lin-Chao, Association of the growth-arrest-specific protein Gas7 with F-actin induces reorganization of microfilaments and promotes membrane outgrowth. Exp Cell Res 273, 34-44 (2002).
  3. J. You, S. Lin-Chao, Gas7 functions with N-WASP to regulate the neurite outgrowth of hippocampal neurons. J Biol Chem 285, 11652-11666 (2010).

用語解説

※1 スプライシングバリアント/アイソフォーム:スプライシングバリアントまたはアイソフォームとは、alternative splicingとして知られるプロセスにより、同じ遺伝子から産生されるmRNA(メッセンジャーRNA)の異なるバージョンのことを指します。このプロセスは、真核生物における遺伝子発現において非常に重要な役割を担っており、ゲノムがコードできるタンパク質の多様性を大きく増大させています。

※2 ロングリード遺伝子発現解析:ロングリードによるRNAシーケンス法は、従来のショートリードシーケンス法よりも長いRNA分子全体の配列を決定するために使用される遺伝子解析技術です。ロングリードシーケンスでは数千から数万塩基のリードが生成され、通常100-300塩基のリードを生成するショートリードシーケンス技術とは対照的な長いリード長となります。長いリードは、完全長の転写産物をより正確に再構成することを可能にするため、ショートリードでは完全なカバレッジが得られない場合、アラインメントが曖昧になる可能性があるスプライスバリアントや複雑なゲノム領域を同定する際に特に有用です。ロングリードシーケンスの主なプラットフォームは、Pacific Biosciences(PacBio)とOxford Nanopore Technologiesの2つがあり、それぞれに独自の方法と強みがあり、精度、リード長、費用対効果が改善されつつあります。私たちの研究では、Pacific Biosciences(PacBio)のテクノロジーを使用しています。


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研究成果・実績
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