(2021年2月24日公開)

担当:池内 健 先生
所属:遺伝子機能解析学分野

 ゾウは哺乳動物では、ヒトを除くと最も長生きする。その理由の一つとして、ゾウはガンになりにくいことが知られている。体の大きなゾウがガンになりにくい現象は「ペトのパラドックス」として長年の謎であった。その謎の答えは、ガンを抑制する遺伝子TP53にあることがわかった。ゾウは、ガン抑制遺伝子TP53を少なくとも20個以上もっていることが、ユタ大学の研究グループにより明らかにされた(ヒトは2個)。このゾウとガンの例のように、特定の疾患になりにくくする遺伝子が存在することが、最近の遺伝子研究により明らかにされている。

 それでは、認知症になりにくくする遺伝子は存在するのであろうか。ここでは、最近発表された認知症発症に抵抗性を持つ遺伝子について紹介する。

 南米コロンビアのアンティオキア州に、早発発症型アルツハイマー病の一大集積地がある(図1A)。この地方には、500人以上の早発発症型アルツハイマー病の方が生活しており、その原因は、たった一つの遺伝子変異PSEN1 p.E280Aが先祖から受け継がれたことに由来する。この遺伝子変異を受け継ぐと40歳前後で物忘れがはじまり、50歳で認知症を発症する(図1B)。

図1. アンティオキア州の早発発症アルツハイマー病集積地と典型的な経過
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 アンティオキア州に在住する70歳代の女性で、早発発症型アルツハイマー病の原因となる遺伝子変異を有しながら、認知症発症を免れている方がみつかった1)。その方の遺伝子をくまなく調べることにより、APOE遺伝子のp.R136S(136番目のアミノ酸がアルギニンからセリンに置換されている)という変化(バリアント)を持っていることが明らかにされた。この女性の脳には、アルツハイマー病の特徴であるアミロイドの蓄積が高度に認められたが、アルツハイマー病に関連する種々の症状は認められなかった。興味深いことに、アルツハイマー病を特徴付けるタウの蓄積は著しく抑制されていた(図2)。

図2. 認知症発症を免れた方の脳画像(文献1から引用改変)
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今回見つかったAPOE p.R136S変化が、タウ蓄積を抑制する機序はまだ不明であるが、アルツハイマー病に対して保護的な作用をもたらしていることは確からしいと思われる。

 APOE p.R136S変化は、1987年にニュージーランドの首都クライストチャーチの高脂血症患者において報告されていたことから、クライストチャーチ型変化と呼ばれている2)。上記のアンティオキア州在住の方も、抗高脂血症薬を内服していたため、高脂血症になりやすい側面も有している。

 今回の発見は、たったお一人の方の遺伝子解析から、アルツハイマー病の新たな病態解明と治療薬開発の糸口が切り開かれた例といえる。認知症の遺伝子研究は日々進歩しており、クライストチャーチ型変化に続く、稀な遺伝子変化の発見により、認知症研究に新たな突破口が開かれることを期待したい。


文献

1) Arboleda-Velasquez et al. Nature Medicine 25:1680-1683, 2019

2) Wardell et al. J Clin Invest 80:483-490, 1987

研究分野

脳研コラム
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