(2020年9月10日公開)

担当:畠山 公大 先生
所属:脳神経内科学分野

はじめに

 私たちが見ている世界は,私たちの目に映った世界そのものではない.私たちが見ていると感じるのは,視覚情報をもとに,脳が都合よく解釈し,作り出した虚構の世界だ1

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図1. Kanizsaの三角形

 この虚構性を実感できる具体例として,生理的錯視が挙げられる.図1は生理的錯視の一例である,Kanizsaの三角形と呼ばれる図形である2.真ん中に白い三角形が浮き出て見えるだろう.しかし,実際には三角形は存在しない.あるのは,切れ込みの入った3つの円と,一辺の欠けた3つの小さい三角形である.しかし,そう分かっていても白い三角形が見えてしまうのは,我々が体験している視覚世界が,脳の作り出した虚構であることの証左に他ならない.すなわち,偶然3つの円に入った切れ込みが,それぞれ他の円の切れ込みと一直線に並ぶよりも,3つの円の上に白い三角形が載っていると解釈した方が,脳にとって自然であり,3つの小さい三角形の欠けた一片が,たまたま円の切れ込みどうしが作った直線に一致するよりも,大きい三角形の上に白い三角形が載っていると解釈した方が脳にとっては自然なのである.私たちは,このような作られた視覚世界の中に生きている.

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図2. 飛んでくるボールを見たとき,それが「ボールである」と言う情報と,
「こちらに飛んでくる」と言う情報は,別個に処理される.

 私たちの視覚認知を形成する神経基盤は,複雑な階層構造を持っている.網膜上に投影された光刺激は,電気信号に変換され,視路を介して後頭葉の一次視覚野に到達する.さらに一次視覚野に入力された視覚情報は,2つの別の経路で処理される.1つは,後頭葉から頭頂葉に至る経路であり,物体の動きや空間情報の処理が行われる(背側皮質視覚路).もう1つは後頭葉から側頭葉に至る経路であり,今見えているものは一体何なのか,といった意味の処理が行われる(腹側皮質視覚路)(図2).これらのいずれかの部位に障害が生じると,私たちが認識している視覚世界にも何らかの影響が生じる可能性がある.

 脳の障害によって私たちが認識する世界に生じる,健常ではあり得ない現象を,米国の神経科学者・ラマチャンドランは"脳のなかの幽霊(phantoms in the brain)"と呼んだ3.本稿では,視覚認知に生じる"脳のなかの幽霊"たちを紹介し,その科学的・臨床的意義について概説したい.

生理的錯視の消失

 視覚認知の障害が主症状である疾患の1つに,後部大脳皮質萎縮症(posterior cortical atrophy)が挙げられる.一般的に,Alzheimer病は記憶障害が主症状の疾患であるが,Alzheimer病の中には視覚障害が強く見られる亜型が存在し,後部大脳皮質萎縮症と呼ばれる.後部大脳皮質萎縮症では,後頭葉の神経変性が強く見られる.

 この後部大脳皮質萎縮症では,生理的錯視が消失することがある.例えば,ある後部大脳皮質萎縮症の患者さんでは,先述のKaniszaの三角形を見せても,白い三角形が浮き出て見えてこなかった,と報告されている4.健常者にとっては,"本当は違うけれど,そういう風に見た方が自然"な視覚処理が,この患者さんではできなくなっていたのである.

病的錯視の出現

 先述の生理的錯視を含め,錯視とは,実在する視覚対象が誤って認識される現象である.健常者に見られる生理的錯視と,脳損傷によって生じる病的錯視に大別される.病的錯視には,対象が消えた後も見え続ける「反復視」,対象が変形して見える「変形視」,対象が実際より大きく見える「大視」,逆に小さく見える「小視」などがあり,その症状は多岐にわたる4

 病的錯視が特徴的だった自験例を紹介する.患者さんは60代の男性である(症例1).突然頭痛が出現した後,目が見えなくなった.その後,痙攣発作が出現したため,当科に入院した.頭部MRIでは,後頭葉〜頭頂葉に異常信号を認めた.その後,視力障害は自然と改善しMRI上の異常信号も自然と改善したため,posterior reversible encephalopathy syndromePRES)と,それに伴う症候性てんかんとして矛盾しないと考えた.この患者さんで特徴的だったのは,視力が回復してくる過程で,椅子が浮き上がって見える,という症状が一過性に出現したことだった.静止しているはずの対象が動いて見える現象を,kinetopsia(動視)と呼ぶ.Kinetopsiaは,動き・空間情報の処理を行う,背側皮質視覚路が,てんかんなどで過剰興奮した際に出現する5(ちなみに同部位が脳梗塞などで機能を失うと,kinetopsiaとは逆に,動いているものが見えずコマ送りのように認識される,akinetopsiaという症候が生じる).本例も,後頭葉〜頭頂葉にかけての病変と,それによって出現した大脳皮質の過剰興奮により,kinetopsiaが生じたと考えた.

幻視

 錯視が,実在する対象の誤った認識であるのに対し,幻視は実在しないものが見える現象である.

 先述の通り,私たちの視覚認知は,目に映った視覚情報をもとに創出される.では,視覚認知の基盤となる,視覚情報そのものが失われてしまったらどうなるだろうか.

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図3. 症例2の患者さんの横に座って,病室を見渡すと,
患者さんは見えていない右下の視野に,横たわっている
3人の人が見えると言った.

 自験例を紹介する.患者さんは70代の女性である(症例2).ある日,突然右側の視野に,実在しない猫や座敷わらしなどの幻視が見えるようになったため,当科を受診した.患者さんを診察すると, 患者さんの右下の視野が欠損しており,欠損した視野に一致して幻視が出現していることがわかった(図3).頭部CTでは左後頭葉に脳出血を認め,同病変による四分盲と考えた.

 このように,欠損視野に一致して出現する幻視は,盲視野内幻視と呼ばれる6.視覚認知を構成するための視覚入力が減少すると,脳は失われた分を自らの中に貯蔵された視覚性記憶を用いて補おうとする.実際に,視野欠損に伴い幻視が出現した患者さんでは,視覚性記憶に関与する腹側皮質視覚路,特に下部側頭葉皮質が過剰興奮していたとする報告もある7

 腹側皮質視覚路の過剰興奮で幻視が出現するとすれば,視野欠損を伴わずに幻視が出現することもあるだろうか.これについても自験例を紹介したい.患者さんは70代の女性である(症例3).2009.column_pic4.jpg自動車運転中,センターラインの右側に,ランドセルを担いだ足のない3人の子供の幻視が見えたため当科を受診した.この際,対向車は見えており,明らかな視野欠損はなかった.この患者さんを検査すると,何と頭部MRIで左下部側頭葉皮質に硬膜動静脈瘻が見つかった.速やかに脳外科にて塞栓術を実施していただき,その後幻視は消失した.硬膜動静脈瘻による,てんかん発作や皮質の血流変化により,下部側頭葉皮質の機能変化が生じ,複雑幻視が生じたと考えた8


終わりに

 以上見てきたように,視覚認知における"脳のなかの幽霊"たちは非常に多彩である.そして,その一つ一つを詳細に検討していくことは,ヒトの脳機能を解明していく上で重要な情報を与えてくれる.また,症例3のように,"脳のなかの幽霊"たちの囁きに耳を傾けることにより,隠れた病気の存在を教えてもらえることもある.臨床と研究の境界線上に位置する当分野に,1人でも多くの方が興味を持っていただけたら幸いである.

参考文献

  1. 渡辺正峰.脳の意識 機械の意識.東京:中央公論社;2017
  2. Kanizsa G. Margini quasi-percettivi in campi con stimolazione omogenea. Riv Psicol 1955; 49 (1): 7-30.
  3. V.S.ラマチャンドラン,サンドラ・ブレイクスリー(著),山下篤子(訳).脳のなかの幽霊.東京:角川グループパブリッシング;1999.
  4. 平山和美.錯視の神経心理学.神経心理 2013; 29 (2): 113-125.
  5. Perumal MB, et al. Epileptic kinetopsia localizes to superior parietal lobule and intraparietal sulcus. Neurology 2014; 83(8): 768-770.
  6. Blom JD. A Dictionary of Hallucinations. New York: Springer Science & Business Media; 2010. p. 237-238.
  7. Kazui H, et al. Neuroimaging studies in patients with Charles Bonnet Syndrome. Psychogeriatrics 2009; 9: 77-84.
  8. 小出 眞悟, 畠山 公大, 上村 昌寛, 菊池 文平, 長谷川 仁, 小野寺 理、一側視野に限局した複雑幻視を呈した硬膜動静脈瘻の1例、臨床神経 2020; 60(6): 425-428
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