それでも地球は動く

私は人に評価をくだされることがあまり好きではありません。なんだかんだと脳研究所の教授になっていますので、時にはいい評価をいただいたこともあります。それでもこれまで全体としては厳しいと言うだけならまだしも、人物への好き嫌いに近い評価や、村的な評価もあってスッキリとは納得はしていません。そもそも適正に人や研究テーマを評価することは不可能なのですが、それでも好き嫌いや利害関係のあまりなさそうな先生方を十分数集めて評価を下すことで、主観を現実世界における妥協的な客観程度にすることができます。

そもそも評価対象に主観が限りなく排除されていると不公平感は少なくなります。受験勉強でも、作者の気持ちを記述式で問う国語よりも、論理的思考で正解を導く数学のほうが、遥かに好きです。空手は大変に優れた武道だと思いますが、スポーツとしては陸上競技のほうが公平です。とはいえ数学のテストや陸上競技が例外で、世の中はもっとfuzzyなもので溢れています。それ自体は逆に多様な個性にもつながるのでそれでいいのです。

科研費の審査などは人数もある程度多いのですが、それでも審査するのが研究者であることも有り審査労力との兼ね合いで制度が決まります。そのためやむを得ないですが、好き嫌いは影響します。論文の審査は通常人数は2人前後ですので、公平とは程遠いです。もちろんeditorがその前に実は審査しているとも言えるのですが、まあ大差ないです。当然人種差別なども影響するでしょう。学内のような小さな組織でもやはり同様で、嫌いな人に高評価を与えることのできる人はおそらく少ないでしょう。そういう意味では科研費やAMEDは色々あるとはいえ、まだいいのかもしれません。

今回わざわざこのようなことを書いたのは、直近で私がなにか評価を下されたからではないです。そうではなく悔しい思いをした + 今後もするであろう、ラボの皆さんへのメッセージです。悔しければ結果で見返すしかないのです。もし皆さんの結果がgrantにすぐにはつながらず、あるいは大きな論文にrejectされたとしても、ノーベル賞を取るか治療に結びつくか教科書に載れば、rejectされるのは低評価を下した側です。私達は何も失っていませんが、

「捲土重来、未だ知る可からず」

E pur si muove