遺伝性疾患解析の意義 ~ 一般的疾患モデルの構築

(2016年6月1日公開)

担当:石原智彦先生
所属:生命科学リソース研究センター
分子神経疾患資源解析学分野

希少な遺伝性疾患の研究の意義は?

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当教室は,神経疾患の病態の解明と治療方法の開発を目的としています.主に3つの疾患,筋萎縮性側索硬化症(ALS:Amyotrophic lateral sclerosis),遺伝性脳小血管病(CARASIL: Cerebral autosomal recessive arteriopathy with subcortical infarcts and leukoencephalopathy),脊髄小脳変性症について研究を行っています.
最近10年間の特に大きな仕事としては,孤発性/遺伝性ALSの原因遺伝子の一つ,TDP-43遺伝子変異を世界に先駆けて発見したこと(Yokozekiら,Ann Neurol誌,2008年,309回引用)と,常染色体劣性遺伝性の遺伝性脳症血管病 CARASIL の原因遺伝子 HtrA1を特定し,その機能解析を行ったこと(Hara ら,New England Journal of Medicine誌,2009年,199回引用)が挙げられます.この2つの発見に基づいた,研究,論文発表をその後も継続的に行っています.

ALSは稀な病気です.10万人あたり2.5人程度の発症率で,大半は孤発性です.遺伝性ALSはALS全体の10%ほどです.ALSを引き起こす遺伝子変異は複数知られており,TDP-43変異によるALSは遺伝性ALS全体の数%程度です.ややこしいですが,孤発性のALSの中にも遺伝子変異を有する例が存在します.TDP-43変異によるALSは全体の1%以下と想定されます. CARASILはALSよりも,さらに稀な疾患です.ただし未診断例が多く存在すると考えられます.
このような稀な遺伝性神経疾患を研究する意義は高いといえるでしょうか.もっと頻度の高い疾患を研究するほうが有益なのではないか,このコラムを見ている,若手の先生や学生さんはそんな疑問も持つと思われます.今回はALSを例に,遺伝性神経変性疾患の研究について説明したいと思います.



ヒトの中枢神経系の特殊性

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まずヒトの中枢神経系の特徴を簡単に説明します.いくつかの点で非常に特殊な組織といえます.その特徴は,神経疾患の発症メカニズム研究の難しさとも関連します.

1) 中枢神経系はその部位,機能に応じた多様な細胞から構成されています.すべてを正確に分類することは困難ですが,数百種類以上の細胞が存在すると言われています.
2) 細胞同士の密接な情報のやり取りや,そのための特殊環境があります.一つの神経細胞は複数の神経細胞と,直接的に,あるいは介在神経を介して連絡します.一つの細胞が情報をやり取りする細胞数は時には数百,数千に達します.また周辺のグリア細胞が中枢神経内の独自の環境維持調節を行っています.
3) 他の細胞と比較して形態も特殊です.例えば大脳の運動野に存在する運動神経細胞は50μmほどの細胞体から,50 cm ~ 1m の長さの軸索を伸ばしています.我々の身体のサイズ(1.5m)で考えると,15kmに相当する長いコードを伸ばしている状態です.
4) 神経細胞は長寿である事も特徴です.一部の神経細胞は出生後にも補充がされますが,大多数の神経細胞は出生時から交代しません.数日単位でターンオーバーする皮膚や粘膜上皮細胞,120日の赤血球,~10数年の骨細胞と比べると,特異な長寿命である事が分かります.

疾患の病態生理研究では,一般的に培養細胞や実験動物がよく用いられます.しかし培養細胞や実験動物では,神経細胞のこれらの特徴を反映させたモデル系を作成することは難しいのです.そこで患者さん由来の検体,脳研究所の保有する病理標本や,当教室の保有する遺伝子検体の解析が大きな意味を持ちます.



神経細胞内封入体~完全犯罪の手掛かり

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ALSは代表的な運動神経変性疾患です.最初の報告から100年以上が経過していますが,根本的な治療は見つかっていません.
「神経変性」というのは,かいつまんでいえば,「原因は不明だが,特定の神経細胞がだんだんと萎縮して消えていく」という状態です.血管の閉塞,細菌感染,外傷などの明確な理由は認められません.しかも変性した運動神経細胞は消失していきます.亡くなった後の病理組織を見ても,僅かな運動神経細胞しか残っていないのです.

ALSにまつわる有名な言葉として,「ALSは完全犯罪である」というものがあります.東京大学医学部神経内科初代教授の豊倉康夫先生のお言葉です.
「完全犯罪」とはいえ,いくつかの手掛かりが残されています. ALSでは運動神経細胞が変性,脱落します.亡くなった患者さんの神経組織に残ったわずかな運動神経細胞を病理学的に観察すると,細胞内に封入体と呼ばれる構造物を有しています.封入体はALS以外の神経変性疾患でも残存神経細胞内に認められます.それぞれの疾患で見られる封入体は,独自の蛋白質を主要構成成分としています.この蛋白質を解析することが疾患の病態生理解明の手掛かりになります.犯罪現場に残された遺留品のようなものです.
生化学的な検討で,封入体の構成成分がTDP-43という蛋白質である事が,2006年の同時期に2つの研究施設から報告されました.画期的な報告でした.しかしこの遺留品,TDP-43蛋白質が神経変性に直接的に関わる原因であるのか,変性の結果,副産物として生じたものなのかは,この段階では結論がでませんでした.



遺伝性疾患解析の意義 ~ 一般的疾患モデルの構築

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TDP-43とALSの関係を検討する上で,家族性ALSにおける責任遺伝子解析が重要な役割を果たしました.家族性の発症であれば,遺伝的要因,環境因子が原因として挙げられますが,ALSを引き起こす環境要因として確立したものは知られていません.
遺伝的要因,すなわち遺伝子変異としては,SOD1遺伝子変異により生じるALSが既に知られていました.しかしこの遺伝子変異では残存運動神経細胞内にTDP-43陽性封入体を認めません.

一方で本研究所での解析で,TDP-43陽性封入体を有する家族性ALS症例が見出されていました(Tagawa ら,Acta Neuropathol誌,2007年).この家系で遺伝子解析を行い,TDP-43蛋白質をコードするTARDBP遺伝子変異の存在を確認したわけです(Yokozekiら,Ann Neurol誌,2008年).その後,同様の報告がなされ,ALSを引き起こすTARDBP遺伝子変異は30種類以上あること,変異例は世界各地に存在することが分かっています.
TDP-43の遺伝子変異によりALSが引き起こされ,かつTDP-43陽性封入体が孤発性/家族性ALSの残存細胞で見られるということから,TDP-43蛋白質はALSメカニズムに根本的に関わっていることが証明されるわけです.ALS病態生理研究の突破口としてとなりうる発見でした.TDP-43はRNA代謝に関わる核蛋白として知られていましたが,その機能や,細胞局在の変化,関連する他の蛋白質の解析が急速に進みました.現在ではALSの病態にはTDP-43蛋白と同様にRNA代謝に関わる蛋白質が多く関連することが分かっています.10年前には想定できなかった範囲まで,ALS病態生理の理解は急速に進んでいます.現在でも,ALS研究においてTDP-43の機能解析は中心的な位置を占めています.

このように,遺伝性疾患で責任遺伝子解析を行うことは,孤発例での研究の端緒となり,より広い領域での神経生理,病態メカニズムの解明にもつながっていきます.ごく稀な疾患の研究から,より一般的なモデルを構築できる点が,遺伝性神経疾患研究の大きな意義といえます.

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